終末期ケアの講師を経験して気づいたこと

介護福祉士さんの資格取得に向けて

実務者研修がああります。

その中で

昨日は終末期ケアについての講義を

1日かけてさせていただきました。

立場上は講師ですが

終末期のケアについては

私も一緒に学びつづける気持ちでいます。

亡くなる前の利用者さまをケアする大前提として

自分の死生観を持つことは大切です。

死について

死を通して生きることについて

自分はどう感じているのか

死生観はなにかの折にふれて考えていくことがいいと思います。

生きることと死ぬことは同じ・・・

死を意識したときに

そこからの生き方が変わってくるように思います。

なにを大切に生きていくのか

最後のステージを

だれとどこでどのように生きていくのか

なにをなに遂げたいのか

そのためには今現在なにをしないといけないのか

好奇心を持ちあれこれやりたいことをやっていても

最終的にはしぼっていけるはずなんですよね

その辺が整理できたら。

特に今はコロナの問題がるので

ほんとうに大切にしたい自分の価値観や

大切にして生きたい他者との関係性が

はっきりと見えて来たのではないでしょうか。

多様性という言葉があります。

終末期を迎える場所は

以前は病院だけだったけど

今は在宅だけではなく施設でも看取りをしていただけます。

その分

見とる側も多くなったということは

たくさんの死生観を持った人たちが存在する所で

一緒にチームを組んでケアしていくことになります。

多様な価値観を受け入れながら

それでも一緒に関わっていけるかどうか

その根本となるものは何か・・・

終末期ケアの場合は

利用者の最終段階に向けて最高のケアをしていきたい思いが

多様な価値観を乗り越えてでも一緒にやっていけることになります。

プライベートではどうでしょう。

多様な価値観や死生観を持っていても

相手を尊重しながらでも

関係性を続けていきたいのかどうか

その核となるものはなんなのか

死生観を考える過程ではっきりと見えてきると思います。

人生は出会いです。

出会いがすべてではないけど

学びや体験は出会いがなければできなかったな、ということが多い。

その出会いをどんなふうに広げていくのか

続けていくのか

経験できたことに感謝をして手放していくのか

それも多様な価値観で自由です。

友だちいないし

出会いなんかなくてもいきていける、と

思うこともありますが

出会いはリアルだけではないので

何かで誰かの刺激を受けて

自分の価値観が作られていっています。

終末期のケアを考えるときに

対象となる利用者さんを思い浮かべると

無駄に歳はとっていないなぁと感じます。

教えられることがたくさんあって

90歳になってもこんない説得力のある会話をされるんだと驚きです。

人生を語ってくださる利用者さんに

終末期ケアと言いながら

こちらがいつも教えられるんですよね。

ある方は生い立ちを語ってくれます。

ある方はつい最近まで現役で仕事をしていたと語ってくれます。

その年輪にははかり知れないたくさんの喜怒哀楽があり

苦労がありここまで生きてこられた方々。

尊厳をもって、なんて言い方では薄っぺらくて申し訳ないですが

そうした深い人生を歩んでこられた方々の

最後に立ち会うことができる終末期の看取りケアは

これからの自分の人生にとって

どんな立派な作家が書く本よりも

血となり肉となり

私自身になっていくことができる

最高の人生を教えてくれる道しるべになるんだと

終末期ケアの講義をしていて感じたことでした。

先日は看取り士の方をテーマにした動画を拝聴しました。
看取り士という名前ではないですが
わたしたち看護師は
同じ思いで
ひとりの方の最後の場面に寄り添うことができると思います。
看取りを
看護業務とせずに
ひとりの方の人生の最後に関わらせていただける
素晴らしい時間だと思い感謝を込めてお見送りをしたいです。


じつはわたしには看護師としての集大成を
終末期の特化した場所で力を発揮したいという願いがあります。
この夢が叶うといいな、と願っています。